我1,200kmをかく走行せり(内海太祐 2003.8 記)

0. 出走前まで- 期待 - 1. 疾走 2. 失速 3.回復 4. 大集団
5. 迷子I 6. 夜間走行 7. 補給不足 8. 楽走 9. 闇-疾走III
10. 迷子II - 冷気 11. 尻痛 12. 集団 - 疾走III 13. 老人と自転車

11. VILLAINES LA JUHEL - MONTAGNE AU PERCHE (尻痛)
MONTAGNE AU PERCHEではやはり食事をしっかり取ることにする.それから補給食がないのでパンを余分にもらって背中のポケットに詰め込んで走ることにする.コントロール間まで特に問題がなければいいが,迷子になったりしたときには危険すぎる.考えてみるとFOUGERESからVILLAINES LA JUHELまで10時間ほどかかった.今思い出してみるとこのコントロールだけは何を食べたかよく覚えていないからやっぱりきつい区間だったのだろう.

食事をとり,食堂のおばさんにボトルを渡すと水道の水で満たしてくれた.ここまで来ればいずれにせよ最大の目標である完走はできる.水道水も試してみたいのでこれでいいだろう.

さて,コントロールを出て走りはじめると尻がかなり痛くなっているのに気付く.それでもまだ耐えられないほどではない.コントロールから間近のアップダウンは路面がかなりごつごつしていて尻痛を悪化させていく.しばらく行くと耐えがたくなり,薬用の軟膏を取り出して塗るが痛みはあまりおさまらない.さらにしばらく走ってから今度は物陰に隠れてパッドつきインナーパンツを裏表逆にして少しでも接触面を清潔にすることを考えた.これは少し効いた.多少は楽になるが,それも焼け石に水だったようだ.やはり早いうちに処置をすべきなのだろう.

残りはまだ200kmほどはあるが,去年のTOTでは800kmで痛みが出たことを考えれば多少進歩の跡が見られるのだろうかとも思ったが,考えてみると時間の問題なのかも知れない.なんにしろあとは時速20km/hでいったとして10時間以上この痛みと付き合わなければならないようだ.

気温はぐんぐん上がっていき比例するように尻痛も耐えがたくなっていく.段差などがあると「うっ,くっ」などと呻き声を漏らしながら走るようになっている.スピードは上がらない.上げると振動が尻に来て痛みが増すからである.メータで見る速度は13km/h程度が多くなってしまった.もっともこれは登りでも変わるわけではないので下りを含めた平均では少し速かったかも知れない.

次々と他の参加者が抜いていく.足があまっているだけにかなり悔しいが,尻痛に打ち勝ってついていく気力がない.ところどころアスファルトが溶けて路面がスムーズになっていると再び抜き返したりするのだが,路面が悪くなるとまた抜かれてしまう.

そんなことを繰り返していると昨日集団で元気よく走っていたイギリス人が抜いていく.単独で走っていて昨日ほどの勢いはない.抜いていくときに声をかけられたので「尻がヒリヒリして痛い」と言うと「手助けが必要かい?」と聞いてきたので「いや,大丈夫だ」というと,そのまま行ってしまった.

これ以外はこの区間は炎天下で太陽に焼かれながらじりじりと進んだ記憶しかない.速度計算を頭の中でしながら,さっきのコントロールから15km/hで15時間プラス休憩1時間とすると,もうゴールは真夜中かな,などと思いつつ痛みに耐える.しかし,この痛み,おさまるどころか増すばかりだ.考えることがないので,「女性は痛みに強いと言うが,この痛みに耐えられるのだろうか」とか「男だったら気を失うという出産時の痛みとどっちがきついんだろう」とか「客観的に考えればこいつは尻の皮膚に水泡ができただけのもので別に体にはたいした影響は無いはずだ.たいしたことはない」などと取りとめもなく考えている.

気が付くとMORTAGNE AU PERCHEに到着.自転車を降りられることにこれほどほっとしたことがあっただろうか.コントロールでは再び食事をする.食事は美味しかった.このコントロールは比較的小綺麗だ.幸いなことに食欲は一度も衰えていない.

食後,ドクターのコーナーがあったらそこで何か処置してもらおうという誘惑があったが,「耐えてみせよう,僕はここにどれだけ耐えられるか試しに来たんだから」そういう闘志がわいてきて私はそれを拒否した.

再度自転車に乗る.わかってはいたがこの時の痛みは乗る前以上だ.でもあとたったの140kmだ.自分の常用するコースを思い浮かべ「あの程度の距離さ!」そうつぶやいて,行きに元気良く登ってきたMONTAGNE AU PERCHEからの坂道を下りはじめた.

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