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オダックス埼玉


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目指すはパリ・ブレスト・パリ ランドヌール2007

日本が初めてパリ・ブレスト・パリ・ランドヌール(PBP)に参加したのは2003年だった。日本でACP公認ブルベが開催されるようになったのはその前年である(BRM1000kmは2005年)。今思えば、我々はBRMという言葉はもちろんのこと、レギュレーションさえ満足に知らなかった。 PBPの知識、情報はほとんど持ち合わせず、右も左もわからず、ハプニング、トラブル数多し、それでも日本人参加者たちはすべてを楽しみ、サポート隊はひたすら参加者の無事を願って過ぎ去った2003年PBPだった。PBP終了後に開催されたRM会議では「次回のPBPには日本から100人の参加者」を期待されたそうである。しかし、その直後に国内では、長い準備期間を経て日本にブルベを導入、PBPへの道を切り開いてくれた功労者と袂を分かち、周囲からは「恩を仇で返した」との非難の荒らし吹き荒れ、それでもやらなきゃ次回PBPどころかブルベも走れなくなると突っ走ってAJ誕生となったのは1年後の 2004年も暮れる頃だった。

さらに2年がたち、日本のブルベは少しずつ変化してきた。未だブルベはマイナーであるものの、参加者は確実に増えた。今年の埼玉ブルベでは出走者数342人、認定数327に達した。600認定者だけでも62人に及んでいる。来年は再びPBPの年である。100人の日本人参加者がいるかどうかはわからないが、前回より多くの人たちが走るのは間違いない。ACPサイトにも2007年情報が徐々にアップされ始め、PBPに感心を抱いている人もいると思う。オダックス埼玉では少しでも多くの人たちとPBPを楽しみたいという願いを込めてPBPページを作成しました。

ただし、これはあくまでも2003参加者が自分の目でみたこと、聞いたこと、体験したことであり、すべてが正しいとは限らない。オダックス埼玉は単にブルベ主催グループに過ぎない。2007年PBPの公式情報はACPの発表に従ってAJが行うだろうから、AJサイトをご覧ください。

なお、PBPページ作成にあたってご協力をいただきました2003年参加者のみなさまには心より感謝いたします。

2006.9.10 オダックス埼玉(妻神邦昭、納見謙一、小倉 清、白木 緑、泉 浩司、山口哲生)

写真:池田年広、A.M.鈴木@AJ宇都宮、山口哲生
文・構成:白木 緑
オダックス埼玉(2006.7〜)
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