我1,200kmをかく走行せり(内海太祐 2003.8 記)

0. 出走前まで- 期待 - 1. 疾走 2. 失速 3.回復 4. 大集団
5. 迷子I 6. 夜間走行 7. 補給不足 8. 楽走 9. 闇-疾走III
10. 迷子II - 冷気 11. 尻痛 12. 集団 - 疾走III 13. 老人と自転車

1. SAINT QUENTIN EN YVELINES - VILLAINES LA JUHEL (- 疾走 -)
スタートするとオートバイと車が先導してくれる.はじめの方は交通も規制されていて赤信号もどんどん通過していく.沿道の人も夜遅くにもかかわらず応援してくれる.興奮状態からか思わず踏んでしまう.ここで少し待っていると,山崎さん,管さんが前を引きその後に私や坂東さん,池田さんが続く.しばらくすると今度は坂東さん,池田さんが前を引き15キロ付近まで行く.気が付くとまわりは日本人ばかりだ.皆相当ハイになっているのが分かる.

しばらく行くって田園風景のなかを進む.先導車がかなり先行してしまったので,山崎さんに「先導車をあまり前に行かせるのはちょっとシャクじゃありませんか?」というとそのままついてきてくれて先導車と少し間を空けて同じスピードで進む.

気が付くと一緒に走っているのは山崎さんと私だけになっている.途中で澤田さんを追い抜いたのに気付いた.なんでこんなとこにいるのかというようなことを聞かれたような気がするが,答える間もなく声は後ろになっていく.途中何人かの日本人を見たような気がするが,そのまま疾走,ふと前方を見ると齋藤さんにそっくりの人がいるなぁ,と思ってみるとそれは本当に齋藤さんであった.一声かけて疾走は続く.

道は非常に良い.山崎さんが「『泉さんを探せツアー』やりましょうか」と言ったのだが,かなり前に出た泉さんをこの平坦路で捕まえるのは至難の業だし,おそらく彼も緩み無く飛ばしていると思うから無理でしょう,と答えた.

赤いテールランプがずっと続く.見える限りはずっと赤い光だ.自分が興奮状態にあるのが分かる.「この光景は絶対に日本じゃ見られませんよね」と私が訊くと山崎さんも「自転車乗りなら一度は出ることを奨めますね」と同意してくれる.赤い光の列を左から次々と抜いていく.ここまで我々は1台にも抜かれていない.

しばらく進んでいくとさすがに少し疲れてくるが,そこでフランスの高速集団が登場して我々を追い越していく.山崎さんに「どうしますか?」と聞くと,「乗りましょう」と言うのでその高速列車に乗ってついていく.気が付いたらほとんど前方に光はなくなってしまう.ほとんどついていくだけだったが,道もよく分からないし仕方ない.山崎さんは「国際問題になりそうだったら引きますけど」と軽い冗談を言うくらい余裕があるからまだ大丈夫そうだ.しかし,ここまででいったいどれくらい抜いたのか.おそらく千人は下らないのだろう.私も山崎さんもすっかりハンターの気分になっている.

このグループの先頭数人が突然道を間違えた.私と山崎さんは後ろに着いていたので正しい道を進んだのだが,このグループを置き去りにしてしまう.今までひいてもらって申し訳ないので少し待って私が先頭を引く.あとはこのまま進んでいくが,仮コントロールであるMORTAGNE AU PERCHE直前の坂で人がいなくなってしまう.山崎さんにあとで「あれは引きじゃなくて逃げです」と言われてしまったが,このへんが集団走行になれていない証拠で今後の課題といえる.

さてMORTAGNE AU PERCHEに着くと山崎さんもやってくるが,そこには何と泉さんがいてかなり驚いている.私も絶対追いつかないと思っていただけに少し驚く.最初に想定したタイムよりずっと速いので「やりすぎだな」と思っていたが,まだダメージはほとんどない.トイレに行って水を買って,ボトルに水を移し替えていると石丸さんがやって来る.「君らオーバーペースだよ」と言われたが,それは自分でも分かっている.

泉さんが「いや〜,でも楽しいっすね〜」と言った.「だろ」と石丸さんも答えたが,皆同じ気持だっただろう.ここまでは平坦路で道がいい.信号も無い.気持良すぎる.

▲前半、内海さん、泉さんとともにカッ飛んだ山崎さんだが、後半はカフェに立ち寄ったり、応援の人々と話したりしてブルターニュの旅を楽しんだ。1200kmの走り方、楽しみ方はいろいろである。
「でも,これじゃ全然もたないからこれからは少しスピード落として行きましょう」と私は言った.MORTAGNE AU PERCHEを出てしばらくは28km/h程度のいいペースだ.3人で走るには丁度良いスピードだ.これでもほとんど抜かれることはない.しばらくすると速い多国籍と思われる集団が現われたのでそれについていく.結構な人数になる.しばらくしていると山崎さんが集団からいなくなる.ここで切れると結構きついかも知れないな,と思ったが,僕と泉さんは降りるつもりは無い.追いついてくることを願いつつ列車は進む.

どれくらい進んだときであろうか?山崎さんが追いついてきて「復活しました」と言うとそのまま集団をひきはじめる.引くと言うよりアタックに近い強烈な引きだ.あんまりやるとFR426の二の舞になると思ったが,案の定集団は崩れてしまう.「ここでそれをやるかなぁ」と思ったが,今度は私が前に出て集団を引く.

こんなことを続けていくと私と泉さんと山崎さんとフランス人が一人の4人の集団になる.この人は我々の集団を利用したかったようなのでかなり引いてもらったあと後ろで休ませてあげることにする.しかし,このフランス人の引きはかなり強烈で,後のことを考えるとちぎれた方が良かったのかもしれない.でも「ついてこいよ」というような態度をとられると後に引くわけには行かない.しばらく先頭交代をしていると山崎さんはまたいなくなってしまう.

しばらく私がずっと引いて最初のコントロールであるVILLAINES LA JUHELに到着.私は例のフランス人も一緒なのかと思ったら後ろに着いているのは泉さんだけである.「あれ?例のフランス人どうしました?」と聞くと「仲間を見つけてそこでわかれました」ということ.ちょっと泉さんにいつもの元気がないので大丈夫だろうかと思ったが,さすがに引きすぎで無謀な走りに少しうんざりしたのかもしれない.ちょっと無謀に付き合わせて申し訳ないことをしてしまった.

ともかくこの最初の220km程度を7時間かからずに走りきってしまった.まさに「疾走」である.

もちろん,この疾走は続きはしない.

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