オダックス埼玉
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14. スタートまたまた大行列、ひたすら待つ
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ディナーを食べ終えてのんびりしたあと、体育館で磁気カードを通してバイク置き場に行ったらすでに大勢の人たちがバイクを持ってグランドの外に並んでいた。スタートを待つ行列である。2003年のスタートは80時間が19日20時、90時間が22時、84時間が翌20日5時だったが、もっとも多いのが90時間クラスである。そのため、90時間クラスはスタートするまでもたいへんだし、コントロールでも混み合う。走力的に余裕のある人は84時間クラスにすれば、比較的空いているし、何より朝スタートで体調をあわせやすいかもしれない。 PBP期間中はインターネットを利用して参加者のコントロール通過タイムがオンラインで流されたので、日本に残った仲間たちがグラフや表にして、当時の掲示板(現AJ宇都宮代表が管理していた)で逐一流したため、応援に熱が入ったばかりか、参加者の家族、知人なども動向に一喜一憂して盛り上がったそうである。オンラインで流されるスタート時間は磁気カードを通した時刻であるが、実際にはそれから1時間以上も参加者たちは待っていた。予定の10時になってもまだスタートできない。少しずつ行列は進む中、トイレに行ったり、記念撮影したりで、待ち時間もそれぞれ楽しそうであった。90時間クラスは500人ずつ15分おきにスタートした。スタートする際にはブルベカードにスタッフがサインペンのようなものでチェックを入れた。スタート後、サンカンタン市内は交通規制が敷かれ、一番前には先導のバイクがいて抜くことはできない。 |
←スタートを待つ行列。グランドを一周、待っている間に前のグループがスタートしたのか歓声が聞こえてくる。
→スタートするときにはグループ毎にブルベカードで実際のスタート時間がわかるように簡単なチェックが入れられる。後でリザルトを見れば、あんなに簡単なチェックだったにもかかわらず、実際のスタート時間で正確に所要時間が計算されていた。 |
←80時間クラスのスタートは夜8時でもまだ明るい。テープが貼られてスタートを待つ。スタートしたあとはこちら。
→90時間クラスのスタートは、街そのものが暗いだけに、闇夜に反射材が光る独特な光景となる。 |
平均年齢から見れば、パリーブレストーパリはオヤジサイクリストの祭典だ。スタートラインに並ぶのは私より年上らしき人が目立つ。夜中に数百人づつのスタート。道一杯に自転車が走り出す。沿道からの大声援が街外れまでずっと続いている。一緒にスタートしたはずの鈴木さんと小倉さんとははぐれてしまった。ハイな状態の中、私は前へ前へと進む。オーバーペース気味。郊外に出てしばらくすると、自転車の間隔は広がり集団ごとの列になる。地平線の向こうまで連なるテールランプの赤い光。振り返るとヘッドランプの光が地平線の向こうまで続いている。ノルウェーやデンマークの同じジャージの集団がよく目立っている。各数十人ずつで、先頭は2.3人のベテランがペースを作っている。それらの集団を次々追い越し前へ前へ。集団を離脱する時、先頭から声を掛けられた。おそらく「オーバーペースだよ」とか「無理するなよ」言っていた気がする。
長距離を走るに有効なのは集団でのペース走。ペースを作れる者が前をひく。国内のブルベの距離では集団での走りを気にしなくても完走できた。しかし1200kmでは違った。途中夜明けを3回迎えるPBPではがむしゃらに走るだけでは完走するのは苦しい。PBPを皆が完走するためには国内のブルベでこれを伝えねばならない。 2003年のPBPは目標の完走を果たした。そしてブルターニュの大地を走ってみて気づかされたこと、学んだ事は数多い。教えてくれたのはPBPを走っていたオヤジなサイクリスト達だ。彼らは超長距離の走り方を知っていて実践している。黙々と何十時間も走り続ける技術が身についている。私もそんなオヤジサイクリストになるのが目標だ。(山口哲生) |