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2回目のパリ-ブレスト 須藤 好

Part3 仲間と戻ってきた
(Part1 2)

860.0km タンテニアック 23/12:11

▲久々に会った清水組

早々にチェックを済ませ、川野氏とともに売店のある建物へ行く。お店はありまして、反射ベストはありますかと聞くと、奥の方から袋に入った反射ベストがやってきた。これで一安心。アリベまで、あと1日の夜を越えなければならず、反射ベストがないと、ペナルティーか失格になってしまうかも知れない。

 ちなみに値段は15ユーロだったかな。食事をしようと屋外のテントで、パンとコーラで食事をしていると、清水氏、川田氏、菅田氏の姿が、あとから飯塚氏も来た。それほど離れてないようだ。飯塚氏はレストランで食事をするようだ。自分たちは再び走り出す。

 だらだらと見飽きた風景なのか、川野氏と山口氏は、時折、アタックをかける。起伏はあるものの下り基調なので、自分も何とか付いて行く事が出来る。でもいつも不思議に思うのは、これまで長い距離を走っているにもかからわず、スピードが出せるのは自分でもすごいと思わずにはいられない。遊んでいるうちにフジュールに到着。

916.5km フジュール  23/16:11

▲タンデム廣田夫妻
チェックを済ませ、食事をするために奥の方に行くと、鈴木夫妻と加藤会長が出迎えてくれた。鈴木夫が事故のためにやむなくリタイヤしたとのこと、加藤会長も付き添いで、走るのを断念した。当人の旦那の方は大した怪我も無く良かったが自転車がだめになったらしい。

 食事もそんなに時間をとらずに加藤会長に挨拶して、外に出る。街の上り坂を進んでいると、タンデムの廣田夫妻を発見。元気そうだ。しばらく併走していると、廣田妻がなにやら文句言いながら、雨のせいでクローズの時間が延びるとか、伸びないとかの情報が飛んでいるのではとか何とか?

街を過ぎるといつもの田園風景が広がる。休憩でとある小さい街のお店のテント張りでポテトとコークを頼むが、店の主人が英語がわからず、自分も良く話せないので、時間がかかってしまう。ポテトを食いながら休んでいると、清水氏と川田氏が何やってんのと声をかけてきた。こっちがゆっくりしているのか、追いつかれてしまった。一行は、直ぐにその場を離れ先を進む。

 自分達も食事が済むと、先を急いだ。次のコントロールに近いのに雨が降り出した。つい先ほどカッパを脱いだのに、直ぐに着るはめに急いでいたので、カッパの上を着るだけで走り続けるが、靴下がゴアテックスの雨用なのに下のカッパをきていないので、雨がもろに入ってきた。せっかくルディアックで履き替えたばかりなのに。靴下に水を湛えた状態でコントロールに着く。

1002.5km  ビラインジュエル 23/21:19

 
 雨の降る中コントロールに着くとチェックを済ませ、軽食販売の列に並び、クロワッサンとコーラをカウンターで食う。河西氏は食事を摂るために道の向こう側にあるレストランに向かった。ここでこのまま出発しようか、休憩しようか迷っていると、山口氏に休憩した方がいいのではと促されたので、休むことに。最初、机で休んでいたが、川野氏が隅の方に横になる場所があるといわれ、チェックの場所に雨のためにだろうか、古新聞が積み重ねてあり、それを頂戴することに、床に敷いたり、靴が濡れているので、新聞紙を丸め、少しでも水分を取ろうと詰め込む。しばし横になることが出来た。その頃には他の人達も床にごろね状態で歩くに気を使う。

横になっていると、カメラマンだろうか、そこ等じゅうでカメラのフラッシュを光らせていた。一時間ぐらい寝ただろうか、携帯の目覚ましに起こされ、眠い目を擦りながら、外に出る。雨は上がっており、鋭い寒さも特に感じることはなかった。あと気になることが、これだけの雨の中を走るとブレーキシューが心配になってくる。確認すると斜めに減っている。取り替えるべきか悩んだが、まだ大丈夫だと思いそのまま走らせた。

時計を見ると12時を過ぎ、街灯に照らされる雨上がりの街を3人であとにする。ここまで来ればあと200km足らずと安易な気持ちもあり、このあとに猛烈な睡魔と闘うことになるとは思わなかった。

 漕ぎ出しは順調に進んでいたが、だんだんと眠くなる。ペースが乱れてきたので、途中の街の普段は昼間しか営業してないであろうカフェがパリブレストパリ用の臨時の24時間営業に早代わりで休憩。自転車を置く、気がつくと、またまた埼玉の並木氏、北海道の佐藤氏、後ろに寝ているのは山形の佐々木氏である。いつもトリオで行動して千葉の600km時は大変お世話になっていた。

 自分達はお店に入りコーヒーを飲む。真夜中の2時30なのにお店は小さいがにぎわって、皆さんブルベ談義でもしているのでしょうか。なんとなくまったりと時間を過ごし、暗闇の中に消える。月明かりもなく、前方に連なる自転車のテールライトで、起伏の形状が読める。

 眠気覚ましに、川野氏と山口氏が交互にアタックをかけている、しばらくすると、徐々に上り基調になり、ペースが落ち、他の選手を抜いていく。今度は下り基調になり、ペースも上がる。その脇をタンデム車が追い抜いていく、もしや、追いかけていくと廣田夫妻である。

 タンデム車は、下りは非常に速いです、慣性の法則で、体重が2倍だとスピードものるわけだ。しばらく、一緒に走っていたが、道の脇に個人で参加者に飲み物を提供してそうなカフェに廣田夫妻は立ち寄る。自分達は先へと進む。

 ここから正念場、自分は、猛烈に眠くなり、川野氏は先行していった。山口氏は逆に遅れだした。上りの道も、ふらふらで、ぜんぜんペースが上がらない状態が続き、右側通行だが、眠さのあまり、危険なのに左側通行していた。休憩したから、前半は調子がよかっので、遅い人を抜いていたが今度は、ほとんどの人に抜かれて行く始末。走っている間、ずっーとおしゃべりしている集団にも抜かれていく。 

 意識が朦朧とするなかで、今何時だろう、あと何キロ走れば着くのだろうと、自問自答していた。急に立ち止まり、時計を見ると5時、クローズの時間に迫っている、あと距離は5kmほどだ、ここでようやく正気に戻った。

▲最後の正念場、長い長い夜

1084.5km モンターニュ 24/5:11

 コントロールに着くと、下山さんもいる。コーラとパンを買いテーブルで、川野氏と3人で休憩していると、カメラを持ったおじさんがうろうろしていた。心配していた遅れている山口氏も到着した。食事が済んだら、寝る。隅の方にあいているスペースに横になる。他の日本人もたくさん寝ている。そういえば山下氏はどの辺にいるのだろうとメールをすると、次のコントロールのドリュにいるらしく、死にそうな位に眠いと返事が返ってきた。それから眠りに落ちる。

次の瞬間、自分の携帯のアラームで目を覚ます。一時間ほど寝ただろうか、周りいた、他の人たちは見当たらず、先に出発したらしい。自分よりも先に到着したのだから当然である。駐輪場にいくと一緒に起きた川野氏と山口氏の姿は見当たらなかった。自分がもたもたしているので、川野氏と山口氏は先に行ったよと、駐輪場で、鈴木氏に教えてもらう。

 仕方なく一人でコントロールをあとにする。空はあいからわず、曇り空で、今にも雨が落ちてきそうである。他の日本人にあうこともなく外人さんの集団についていく、走りだして、一時間ぐらいたっただろうか、公園だろうかと思っていたが、宮殿らしきものが目に付いた。

 いつもの田園風景に飽きる頃、標識にドリュの文字が、直進すると、街だがあえてPBPの看板は右を差していた。くねくねと車が一台通れる道を進む、先に進む自転車のあとを着いていく、街のはずれのほうだが、体育館らしきものが見え、その前にいくつもの自転車があり最後のコントロールに着いた。

1158.5km ドリュ  24/10:34

▲日本人がいっぱい
 自転車を置き、体育館のほうに向かう。チェックの方に行くと、下山さんが向こうから、来て、みんな中にいるよと教えてくれた。

 チェックを済ませ、食べ物を物色し、テーブルの方に向かうと、みんないるわいるわ、ここだけ日本だ。ぐらいに固まっている。

 みんな元気そうだ。食事をしていても、笑顔が見える、これならみんな完走できるでしょう。食事をそそくさと済ませる。前には今泉氏がテーブルにうつ伏せで寝ている。大丈夫かな。誰かが、11時になったら、みんなで出発しようと言うことになり慌てて、用意をするために外に出るが、古山氏は壁に横たわっていた、一緒に行かないのかな?心配する。体育館の前にみんな集まり、その場所に集まった人たちで時間が過ぎたが出発。体育館の裏から道へ、細い住宅街の道を進む。スタートの早い人はクローズタイムが近いので先行することなり、速い人達は直ぐに見えなくなる。小さい街中や田園地帯を過ぎると、軽い峠で又、雨に降られる。今回のPBPは最初から最後まで、雨が付いてくる。みんなは元気が残っているようだが、自分は膝は痛いし、尻は痛いし、余力も残ってない。

 アリベまで10kmの看板、森を抜けると、見慣れた街に帰ってきた。自分の周りには、川田氏、清水氏、双木氏で、二車線の道路を見ると、帰ってきたんだなとつくづく実感してきた。川田氏が盛んに「終わっちゃうよ〜」と叫んでいた。1200kmの道のりは遠いものがあるが、これで走り終わってしまうのが、なぜか寂しい気持ちになる。 アリベのロータリーに近づいてくると、拍手や歓声が次第に大きくなってきた。先にゴールした日本人の姿も見え、顔は良く見てなかったが、2回目完走おめでとうと言われた。確かに練習不足は否めないが確かに完走できたのである。みんなのおかげ、自分のおかげ、本当にありがとう。自分を完走させてくれて。

▲どこもたくさんの人がいる
▲あと少し
▲ついに戻ってきた

1227.0km  サンカンタン アン イブリーヌ 24/15:19

 グランドに自転車を置き、体育館の中に入ると、コントロールは渋滞していた。待っている間、いろいろと今までのことを思い出すと、涙が出る程ではないが、感動せずにいられなかった。西垣氏に会い、ともに二度目の完走を称えあう。

 最後のブルベカードのチェック、磁気カードのチェック、これが確実の完走の印である。先にゴールした人たちは、ベンチで出迎えてくれた。自分はさて置き、完走した人に、おめでとうと言いまわった。中には、途中でリタイヤした人も。日本人最速の泉氏にも報告、この方のおかげで、また、二度のPBPの完走を手にすることが出来ました。

 飲み物を引き換えに外の交換所でコークを飲んだ。その足で、食事も摂ることに食事を済ませるが、ものすごく眠い。一緒に食事をしていた山口氏と川野氏は平気みたいだ。体育館の方に戻るとしばらくして、心配をしていた飯塚氏もゴールした。本当に良かった。待っていると、今度は坂東氏もゴール。時間も過ぎているので。完走扱いになるか心配である。そのあとに日本人の最終走者、伊藤氏もゴール。皆さんお疲れさん、本当にお疲れ様である。みんなと雑談するでもなく、ベンチにすわり、ボーッとしていた。みんながホテルに帰りだしたので自分も一緒に帰ることに。ホテルに着くとシャワーを浴び、眠くなる前に、自転車を輪行バッグに詰めなければならない。

 自転車を掃除していると、今年のPBPは雨の中、凄まじいものがあった、フレームにはいろいろこびり付いているし、ブレーキシューは何とか、持ったが、これ以上降っていたらどうしたものか、かたずけていると、先にゴールしてた、山下氏が見えた。

 山下氏は相当早く、余裕の表情だ。走ってきたことを雑談しながら袋に詰める。

 埼玉組は今夜の食事も中国のケータリングで食事をする。みんなの健闘を称えシャンパンで乾杯。みんなと思い思いに食事をする。疲れがたまっているせいで、一足先に寝るのに部屋に戻ると、すでに坂東氏は寝ていた。

▲ゴールチェック
▲ゴール会場
▲続々ゴール

池田氏、救出作戦

朝になるとだるい体を起こし朝食をとるために一階のレストランへほとんどの人は朝食を済ましていた。最後に自分と坂東氏だけ、朝食を摂っていると、オダックスジャパン一行は空港に向かうためにバスが動き出していた。

 埼玉組もぼちぼち空港に向かうためにバスに荷物を詰め込む。ここまでは順調だが、なんと埼玉パックで参加の池田氏がまだ、こっちに戻って着てないと言うことで、バスで池田氏のいる街まで、急遽、迎えに行くことになる。坂東氏、西垣氏らに見送られ、バスは出発。

 街を抜け、郊外に出ると、昨日まで走りまわった、田園地帯が広がる。街に着くまで、うたた寝をするまもなく、一時間もしないうちに街に着く。小さい街にでかいバスが入って行くが、道は狭いし、車は道路わき駐車しているし、大丈夫だろうか、程なく、街の中心街ぐらいバスを止めると、教会の階段部に自転車を持っている人を発見。河内さんが確認に行く。無事、池田氏を救出することが出来た。

 池田氏の手にはしっかりと×のプレートを持っていて、他のすべてのプレートを手に入れ、転んでもただでは起きないといわんばかりに、元気でした。池田さんの無事を祝して、シャンパンを振舞うことに。しばらく雑談をしてから、埼玉パック一行を乗せたバスはパリの中心部、凱旋門を目指す。高速道路を走り、セーヌ川が見えはじめると、4年ぶりの凱旋門を見ると、すごい懐かしい。やはりパリにきたら、凱旋門かエッフェル塔を見ないと、と思う。

ここでもハプニング、このバスに埼玉パックに関係ない河西氏が乗っており、挙げ句に飛行機の時間がないという。河西氏のみバスで空港まで、行ってもらう。他の人達でシャンゼリゼの通りのレストランで食事をすることに、河内さんの説明だと、生粋のフランス料理店はないという。フランス最後のひと時を楽しむ。レストランから外に出ると、午前中は曇り空でしたが、夏の日差しが戻り、空も青空。ここで片桐氏とはお別れ。バスで空港に向かう。程なく空港に着くと、池田氏、原氏、岡野さんら4人はJALの飛行機で帰るため、バスを降りる。自分らはANAの飛行機なのでこのまま移動し、一階の方へ、進む。

 ここで、まさかの自分にハプニング、カウンターで正式なチケットをもらうための、eチケットの紙をなくし、おろおろしていたが、河内さん、曰く、なくても大丈夫と言われ、一安心。待ち時間でだらだら過ごし、飛行機に乗り込む。

▲救出にバス出動
▲無事に救出で乾杯
▲凱旋門前の埼玉3人さん

帰国

 十何時間というフライトだが、そんなに気にならずに日本についてしまった。到着ロビーに行くと、AJ埼玉の面々が出迎えていただいた。

 白木さんに妻神氏ら、ネットで自分達の走りは逐一、解かっていたという。みんなでしばらく雑談をしている間、自分は、両替したり、自宅に帰るバスのチケットを購入したりしてたら、バスの出発に時間になってしまい。埼玉パックの参加者にお礼をいい、慌ててバスの停留所に行く。バスは間に合った、自転車と他の荷物をバスに積み込む。これまで一週間を思い出しながら、バスの中で、当然のごとく、バス停に着くまで寝むることに。こうして日常を離れることの出来たPBPは終わる。

まとめ

お盆休みの後半から、一週間と長そうでしたが、1200kmと同じように、終わってしまえば、早いものだ。

 2回目だから、多少高をくくり、みんなのサポートを出来るかなと、思いましたが、練習不足もあり、自分のことで精一杯でした。

 それと、出だしの雨には参りました、途中では、すごく眠くなるし、ほとんど思いどうりに、ことは運べず、散々でしたが、念願の完走をすることが出来ました。これもオダックス埼玉のお声がかからなければ、出来ないことでした。

 本当にありがとうございました。参加者の皆さん、お疲れ様でした。

 また4年後を目指してがんばりましょう。

 オダックス埼玉のお声がかからなければ、フランスには、これなかったでしょう。本当にありがとうございました。

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