2回目のパリ-ブレスト 須藤 好(記2008.1)埼玉グループで一緒にPBPに行ったAJ宇都宮の須藤さんが書いてくれたレポートと写真です。 |
受付・検車 19/9:30朝食を済ますと、身支度を整え、受付をするために競技場へと向かう。埼玉組は、8:30にホテルを出るが、自分は、ちょっと遅れて他の人達と行くことに、ホテルが競技場から3km程なので、なんなく着いた。受付をするため、最初に小さい番号のシールを貼られ、競技場のトラック脇に、自転車を置き、体育館に入り、受付をする。受付では、ブルベカードのほかに、ネット上で位置がわかる磁気カードや、記念ジャージ、夕食のチケットが入っている。 順番待ちをしていると、違うホテルに泊まっている、サポートパック1の人達も集まり、にわかに盛り上がりを見せる。目印にオダックス埼玉の旗が目立ち、他の国のカメラマンから、シャッターの嵐。しばらくすると、皆さんすでに、国際交流をしているようだ。1時間も経つと体育館も世界の人達で、大変賑やかになる。ここで、天気が雨が降ったり止んだりしているせいで、検車はスタート前に行うことになった。11時にみんなで記念撮影をするため、表にある、スタート地点に集合。まさか、この場所が日本人だらけになるとは驚きだ。歓迎のネットにかかる垂れ幕にも日本語で「ようこそ」と書いてある。 集合写真も撮ったことで、埼玉組はホテルに戻る途中で、昼食を摂る。街のはずれの方にあり、日曜日ということで、他のお店が営業していないので、そこのレストランだけが、やけに繁盛していた。ホテルに戻り、自転車の最終チェック、サポートに預ける荷物を分けていた。 午後6時から、埼玉組のサポートをして下さる。エスペランサーサージュの久保氏との打ち合わせをする。サポートは450kmのルディアックに固定して、テントを張り、仮眠所。着替えなどの、ドロップバッグをサポートしていただくことになってる。ミーティングも終わり、サポート車に荷物を預ける。目印のために、オダックス埼玉の旗、プレートなども用意されている。このあと中華レストランのケータリングで、夕食を済ませ、寝る。
スタート当日 20/22:50山下氏と今泉氏が買出しに行くので、付いていくことに。まず、町のカルフールに行き、水と補給食、昼食は外に食いに行かないので、サンドイッチを買う。そのあとGO SPORTSへ見に行った。天候が悪くなりそうなので、長袖ジャージや泥除けを買う人がいました。 11時にホテルに戻ると山下氏達と雑談しながら買ってきたパンで昼食を摂る。仮眠をとる前に自転車を整備をする。 部屋には坂東氏が仮眠をとっている。自分も横になるが、直ぐには寝付かず、時間だけが過ぎていく。16時まで何とか仮眠らしいものが取れたが目覚めが悪い。起きて下に行って見ると、すでに会場に行く準備が整っている人が待っていた。 スタート前にレストランで、食事をするために、会場へと向かう。時間を守った人は食事をとるのも、行列に並びひたすら順番を待つことになる。他の人達は、レストランに早くにつき、早々に食事を済ませ。スタートを待つばかりで、余裕表情だ。食事を済ませ、デパールに向かうと、ロータリーにはすでに長い列が道一杯に出来ていた。今丁度、20:00なので、80時間組のスタートである。花火がなり、スタートの合図で、列をなし、一斉に飛び出して行く。日本人では、市川氏、泉氏、山崎氏を含む、9人が先陣をきることに。 自分と飯塚氏、坂東氏は列に並ぶのが遅いためか、グランドを二つに別れて列を作っているが、なぜか遅い方に並んでしまう。後から来た本橋氏と一緒に列に並んでいると、雲が怪しくなり、小雨だが雨が降ってきた。21:30に花火がなり、90時間組の最初のスタートである。 順番を待っていると、雨もだんだんと激しくなり、スタートが遅くなるほど、激しくなりカッパを上下着る事に。グランドをほぼ半周したところで、昨日行うはずの検車をし、テントで、ブルベカードをチェックをしてもらい、スタート位置に行くためにグランドを出るところに日本からの応援の人がいて、「がんばって」の声に励まされる。自分達はというと、待ちに待って、22:50になり、この頃には、雨も小降りになる。スタートの合図がするが、雨のせいかなかなか前に進まない。 集団でスタートするが、後方に並んだので、直ぐにバラけて、3人で移動することに。スタート直後は、道路規制がかけられローターリーや信号で減速せずに安心して、走る事が出来る。周りに影響されず、自分達のペースで抑えながら走る。古い町に入ると、街灯が少なくなり、途中、集団の先頭が、中央分離帯のポールに当たり、落者。仲間がいるみたいなので、そのまま進む。途中、雨も止み、体温調整のため休憩することに。70kmぐらいにパン屋さんがあり、みんなに水を配っていた。気が付くと屋根の上に自転車のモニュメントがあった。伊藤義康氏も盛んに写真を撮っていた。 しばらくして、町を抜けると田園地帯に入り、前には自転車のテールランプが遠くにまばらにみえ、後方にはライトの列が、地形の起伏に見え隠れする。周りに明かりがない為か、この頃には、見上げると満点の星が、頭上に広がっていた。3人でしばらく暗闇の中を進む、144kmの食事ポイントは、モンターニュであり、飯塚氏が言うには、山という意味だ。そういえば、なんとなく、上り基調になっているような。上っている途中で、雨が激しくなり、急いで、カッパをきる。しばらく激しい雨が続き、途中から下り坂、雨具を着てて助かった。いくつもの起伏を乗り越え、雨の中を進み、町の中に一際輝く、建物にスタッフに誘導され、ようやくコントロールではないが食事ポイントに着いた。建物の前にはたくさんの自転車が置いてあり、、中に入ると、みんな思い思いに食事をしている。
144kmモンターニュ 21/5:30日本人も見受けられる。食事を済ませ、外に出る時に池田氏を発見。6時を過ぎているが、外はまだ暗い。モンターニュの町を出る時は、下り坂で、滑らないように、町を出る。途中で、飯塚氏の自転車に異常が、先に走っていた坂東氏は先行。ボトルのネジに空気入れの治具が割れてしまったようだ。仕方なく空気入れをバッグにしまうことに。坂東氏は先に行ってしまったので、二人で次のコントロールを目指す。 周りは次第に明るくなり、ほとんど平坦な田園地帯を走っている。この頃には雨も上がり走り安い、調子がいいのか、飯塚氏が爆走し始めかなりのハイペースについていけなくなり、飯塚氏の姿も見えなくなった。一人で走っていると、鈴木夫妻、町の中で、井出マヤさんに、飯塚氏は当に追い越して行ったそうな、追いつけそうにないのでマイペースで行くと、前方に飯塚氏の姿が、エネルギーが切れたみたいだ。 町の坂を上りきると、ビランジュエルのゲートが見えた。駐輪場の方に行くと、片桐氏、今から出発するところだ、見る日本人も増えてきた。みんな早くスタートできたのかな? 222km ビランジュエル 10:04すると、後から坂東氏が着いた。途中で待っていたが、自分らがわからず、先に来てしまったらしい。すまないことをしてしまった。 また、3人で出発する。途中で今泉氏に会う。土砂降りの雨が降る。慌て、家の軒下で雨具を着ることになる。雨具を着ないで軒下に休んでいるが、みんな雨を止むことを知っているらしく、何分もしないうちに小ぶりになってきた。この間に坂東氏が遅れる、交差点の近くにベンチを見つけた飯塚氏は眠いらしく、坂東氏を待つ間、横になる。交差点で坂東氏を待つ間、下国氏、下山さん、池田氏、岡野さんも、来た。飯塚氏が起きると、坂東氏が来て、今度は坂東氏がベンチに横になる。岡野さんもベンチで休む。池田氏が、見張っているから、行ってくださいといい、お言葉に甘え、飯塚氏と二人で出発。 いつ雨が降ってもいいように雨具は着ているが、昼過ぎにはだんだんと青空も雲の切れ間から見えるようになり、街で、坂東氏を待つついでに雨具を脱ぐ。街のレストランでは参加者がくつろいでいる。集団が過ぎて行く中に池田氏の姿が、坂東氏はいないようだ。待つことしばし、坂東氏が来たので、出発。田園の中、気分がいい下り坂が続きつい飛ばしすぎてしまい、気がつくと一人で先行してしまった。待つこと10分ぐらい、いくつもの集団が過ぎて行くがその中にはいない。その集団の中に千葉600kmで一緒に走った堀込氏が過ぎていった。待っても来ないので、確かめに行って見ると坂東氏と飯塚氏は日陰で気持ちよく寝ていました。青空も見え初めて、走っているとなんだか気持ちよくなり、風景の色が出るようになってきた。雨上がりのやわらかい日差しの中、自分も眠そうになってしまう。飯塚氏は自分の頭をヘルメットの上から、叩き、必死に寝む気を戦っているようだ。それほどきつくはない起伏の道を進むと、コントロールに着いた。 |