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フランスPBP1200kmぜいたくな自転車旅行2 (泉 浩司 2003.9記)

1. スタートからCARHAIX-PLOUGUERまでの696km  2.CARHAIX-PLOUGUERからゴールまで

ビールにワイン、
フランス人のすごさを見た
▲コントロールにはビール、ワインもあった。
食事をして出発する。明るいので元気である。往きは眠くて仕方なかったなぁと思いながら、広大なフランスの大地を眺めながら進んでいった。なんとも贅沢な自転車旅行である。

773km、LOUDEAC、16:17、到着。

いつもの作業をして、レストランに行く。ここにもサポートがいるのだが、食事の変化が胃の負担にならないかと不安になってサポート場所に行くのは止めて、レストランで今までと同じものを食べた。テーブルで30分寝た。起きると向かいに座っていた婦人が見ていたので、愛想笑いをして、そそくさと後にした。サポートの所で、洗ってもらったジャージに着替えスタートする。この区間は、往きも帰りも明るく元気で、坂の多さは相変わらずだが、快調だった。途中で外国人(おそらくロシア)に話しかけられるが、一言二言の会話(?)に詰まり、彼は先に行ってしまった。さらに進むとシークレットポイントが現れ、中に入ってスタンプを押してもらう。外のBARでコカを飲む。このころから周りのフランス人が酒を飲んでいるのが気になりだした。みんなビールにワインとよく飲めるものだと思った。きっと、酒はいつも飲んでいて水みたいなものだと勝手に判断した。文化か習慣か、とにかく欧米人はすごい。そこを後にしてまた走りだした。

859km、TINTENIAC、21:11、到着する。

集団ミスコース
いきなり違う方向に走り始めた
食事をして出るころには薄暗く、これから起こる体験など想像もしないままコントロールを後にした。町を出ると当然真っ暗で前後に人の影すら感じない道をただひたすらライトを頼りに一人で進む。暗くて眠くなり歌を口ずさむが、3回目の夜になると眠気も限界である。スローペースで走っていると後ろからやはり歌っている女性が一人で抜いていった。強いなぁと思った。この区間、55kmだったので大丈夫と思ったのが間違いだった。眠気を押さえるために集団に入ろうと思っていたら、来たので便乗した。

これがバカみたいに真っ暗の道を飛ばして行く。そのうち反対車線から大きな声がした。どうやらミスコースをしたらしい。大きなロータリーでルートを探す二人のフランス人、何故戻ろうとしないのか不安を覚えたが下り基調でいい勢いで来てしまっている。じっと動向を見ていた。すると一台の車が止まり、なにやら会話がなされ、いきなり違う方向に走りだした。勝負をかけてついて行くことにする。相変わらずのスピードだが遅れるわけにもいかず必死で後を走る。しばらくしてポンとコースに復帰した。往きに写真撮影をしたところをカットしたようだ。もうこいつらの後はいやだと思い、また一人で真っ暗の中を進む。たまにオフィシャルのバイクが巡回していてホッとする。

抜かれることはあっても、抜くことのないままふらつきながら、
914km、FOUGERES、0:38、到着。

汗とイビキの大合唱、
フジェール仮眠所は2ユーロ
チェックしてもらい食事をしてから仮眠所に行き2ユーロを払い、真っ暗で汗臭くてイビキのする部屋の中へ案内された。マットと毛布があったが、蒸していたのでそのまま寝ることにする。入口で起こしてもらう時間を申告するのだが、始め何を聞かれているのか分からず困った。ブレストの時、1時間半で元気になれたので、ここでも同じでいこうと思い申告した。これが間違いだった。横になるやあっという間に寝たまではいいのだが、すぐに「ムッシュ」と起こされた。実際には、1時間半寝たのだが、全く眠気が覚めない。廊下に出ると、いきなりの寒さに参った。身体は眠さと寒さで動けずその場でうずくまった。もう少し寝ようかとも思ったが、部屋は埋まっていた。その後眠気だけは少し取れたので、外に出て走り出した。
淡々と続く丘陵地帯、
パリ目指してアップダウンをひたすら走りぬく
▲どこのコントロールも美しいが、やることは食べて寝るだけ。
日本だとかなり山奥に入らないと見られないような満点の星空だった。澄みきった大地にまたもや感動してしまった。それとは裏腹に眠気が襲い掛かる。耐えられなくなり道端に座り込むが寝むれず、また走りだしてはふらつき、抜いて行く人が後ろに付けと合図してくれるのだが応えられずにいた。そして小さな町に入りベンチがあったので横になった。ここでも30分位で寒くて目が醒めた。そのうち霧がかかりライトの明かりがかき消される。明るくなるにつれ足も回るようになり、また小さな集団に乗った。少し速い集団で次々と抜いていく。3人で先頭交代をしながら進んだ。一緒に走っている人はフランス人で結構年を取っているように見えた。コントロールまで20km位の下り坂で飛ばしたら、怒られてしまった。言葉は分からないがどうも下りでそんなに踏むなと言ったようだ。ここで気持ちが切れて、置いていかれた。

するとまた眠気がきたがなんとか
1002km、VILLAINES-LA-JUHEL、8:56、到着。

ここは往きで足がいっぱいになった所である。帰りは眠気がいっぱいだった。コントロールを済ませ食事をして、隣にあった教会のベンチで1時間寝た。起きると回りにテープが張ってあり立ち入り禁止だったようだ。身支度をしていると一般人が寄ってきたので怒られるかと思ったが、笑いながら話かけてきた。分からないというと行ってしまった。言葉が話せればいいのだが・・・・

眠気も治まり出発する。淡々と続く丘陵地帯、北海道と比較したくなるが、スケールが違う大地をひたすらパリに向かってアップダウンを走り抜けて行く。枯れたひまわり畑を見るとツールで見る映像が蘇る。咲いていたらもっと凄いだろうと想像しながら・・・・

日中になるとそれなりに気温があがる。乾いた大地のせいか、汗はあまりかかなくなっていた。スピードも遅いし心拍もあがっていないのだろう。唇の皮が剥けはじめていた。UVカットのリップクリームは必需品だろう。

1167kmノジョン・ル・ロワ
でパリブレストと生ハムメロンを食す
1084km、MORTAGNE-AU-PERCHE、14:55、到着。

いつものようにレストランで食事をしていると、隣のおやじ達が美味しそうにビールを飲んでいる、それだけでは、あき足らずにワインも飲み始めた。ゴールしたら浴びるほどのんでやると改めて思いコントロールを後にした。往きのこの区間は暗くて集団で走っていたのでほとんど覚えていなかった。道の感じは今までと同じようだが、対向車が飛ばしているのが気になった。フランスでは優先順位が自転車、人、車に思えるくらい、車が気を使ってくれるのがわかった(日本ではありえないことである)。しかし、対向車のスピードはこれまた凄いものがある。それも老若男女を問わず。誰かが言っていたが、フランス人は信号をつけるとぶつかるのでロータリーにすれば自然とスピードを落とすのだという。ホントかどうかはわからないが、何となく納得する。またまた襲う眠気に勝てず、道端で横になってしまった。目立つところだとまずいので、隠れるように寝た。そういえば外国人は、ちょっと見つからないだろうと思われる場所に自転車を止めて寝ているのを見た。15分くらいだろうか横になったらスッとしたのでまた走り出した。

そして、穀物畑をただひたすら抜けていくと最後のコントロール、
1167km、NOGET LE ROI、19:46、到着。

いつもの行動をしてレストランに行くと、生ハムメロンがあり思わず食べてしまった。ここには、パリブレストもあったので一緒に食べた。

アレー、ジャポン
もう終わってしまうのか、、、、
あと58kmだが眠かったので外の芝の上に寝転んだが、ちくちくしたので体育館のベンチで30分横になった。本当は明るいうちに着きたかったのだが、身体がゆうことを聞かないのである。コントロール出発する際に、後ろから「アレー、ジャポン」と言われ振り返るとスタッフの女性が立っていた。メルシーと言うのが精一杯だった。とてもうれしかった。山崎さんに聞いたのだが、「アレー」とは、「いけいけ、GO、GO」といった意味があるらしい。この言葉は、今回たくさんの人たちからかけられた言葉で、フランス人の自転車にかける情熱をヒシヒシと感じた。夕暮れ迫るパリへの道はとても感慨深くすばらしい夕焼けに変わっていった。あと50km足らずで終わりだと思うと胸が熱かった。

日が沈むといきなり寒さがやってくる。空気が暖かいところと冷たいところがあって変な感じである。やがて真っ暗な道に変わり、森の中を抜けるところで、またも前後誰もいない状態になった。昼間通った人は高級別荘地帯だとゴール後に言っていたが、真っ暗の中一人で行くと薄気味悪い道である。小さな峠みたいなところで、いきなりアレーと言われ、びっくりした。フランスの一般住宅は間接照明が多いのか、暗い気がする。4回目の夜を迎えたのだが、何度も真っ暗な中、声をかけられた。ゴールも近づき町の中に入る。後ろを振り返ると大集団が来ていた。あと10kmもないので最後に踏んでやろうと思い飛ばした。明るい街中、往きに通った道で良いのだろうと思い突っ走ったのが間違いで、帰りはもっと近道でゴールするのだ。結局、遠回りして集団には先を越され、違う道からサンカンタンにゴールした。

1225km、SAINT QUENTIN、23:50、ゴール。

辛うじて24:00前に着けて良かった。ゴール後とにかく酒を楽しみにしていたことにこだわり、ホテルに帰ってもいいよと言われたが、石丸さんと酒を飲みPBPの話題で盛り上がり、体育館の床に沈んだ。そして私のPBPは完結した。

結果:73時間20分

日本で応援してくれた皆さまに心から感謝します。ありがとうございました。
今回フランスで体験してきたことは衝撃的で、出発前、次は無いと思っていましたが、既に4年後のPBPに向けて走り出しています。

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