フランスPBP1200kmぜいたくな自転車旅行1(泉 浩司 2003.9記) 1. スタートからCARHAIX-PLOUGUERまでの696km 2.CARHAIX-PLOUGUERからゴール *このレポートはPBP終了後に日本で応援してくれた自転車仲間たちに書かれたものを転載しました。 |
事前情報乏しく、 ガチガチに緊張した検車 |
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ポタ、ポタ、ポタ・・・何の音? 夢か現実か、エアコンの音だと思いたいが違う。雨音だぁ! スタート当日の朝は、そんな不快な目覚めであった。 14日、猛暑と聞いていたパリ、シャルル・ド・ゴール空港の外に出た瞬間、なんだこの寒さは? AM5:00のフランスは日本の秋のようだ。聞いたところによると、二日前に降った雨で季節が一気に変わったのだ。
16日、車検当日である。ホテルから15km程離れた会場まで走っていくと、近づくにつれカンバンなどがあり盛り上がりをみせている。行く途中からリアディレーラーの調子が悪くガチャガチャ、ヤバイなぁと思い調整に時間を取られしまった。結局は直ったが・・・ 4000人もいると整理も大変で指定された時間に会場内に入る。まずは、自転車の検査、ライト、テールランプ、反射材の着用、想像していたものより簡単であった。アンケート用紙を受け取り、今度は受付に向かう。気分はかなり盛り上がっている。日本の国旗が立つテーブルで、パスポートを提示し各書類を提出してボードにサインして、これまた簡単に終わった。ガチガチに緊張していたのが、バカみたいである。 さあ明日は、スタートだぁ! |
気分はツール・ド・フランス 一気に動き出した大集団 |
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17日当日、なんだよ〜雨か〜。現実に引き戻された瞬間。今年、日本のブルベでは、雨が降らないことはなかった。テレビをつけて天気予報を見ると、どうやら回復傾向らしい。スタート時間は22:00なのでまずは一安心する。9:00よりプロローグがあり、それに出る人達を見送り、再び部屋に戻り休息を取る。
18:00の日本チーム再集合に合わせてホテルを出発、このころには、すっかり天気も回復していたのでホッとした。事前に予約してあるレストランに行くと、そこには、長蛇の列・・・やっと中に入り食事をする。セルフの食堂といった感じで好きな物をトレイに乗せて席に着く、決して美味しいとは言えないが、量だけはやたらとある。その中にPBPにちなんだデザートがあり食べる。シュー生地をドーナッツ型にして中にクリームを挟んだその名は「パリブレスト」、結構美味しかった。これから先コントロールポイントでは、同じようなスタイルでお金を払って食事をすることになる。
22:30、スタートの合図で一斉に飛び出す。その瞬間、これから1200km走るのになんというスピード、まるでスプリントレースのようだ。一気にハイテンションになり全開走行になってしまった。フランス人はバカばっかりだと、自分のバカさかげんを棚に上げて思った。沿道では、声援の嵐、交通も規制されていて気持ち良すぎるくらである。1200kmレースを目の当たりにして、訳もわからず奇声を上げながらトップ集団まで突っ走った。 まるでツール・ド・フランスでも走っているかのような錯覚をおこしながら興奮状態は続く。先導車は抜けないので後に付く、すると後ろでは、落車の音が聞こえた。その直後、前方から「パーべ」の声、石畳である。そんな一言でさえ興奮材料になってしまう。完全に脳がイカレているに違いない。後ろから呼ばれたので振り向くと、白木さんである。行けるところまで行くと言っていた彼女は、スタート前日ほとんど寝ないで走ったにもかかわらず日本人女性で最長距離1100km以上走ったのである。 郊外に出ると、そこは一切街灯のない世界、その中をテールライトだけが永遠と続いている。この光景を見て改めてPBPの凄さを実感し、ここで走れた喜びを噛み締めた。 |
ハイテンションとハイスピードの223km 最初のコントロール、ヴィレン・ラ・ジュエル |
いつしか先導車も消え、皆、前に前に行こうと走っていく、これに乗って行くしかないと思い便乗する。大きくなったり小さくなったりしながら、いくつもの集団をパスしていった。アップダウンはあったが、まだ体力もあり気にもせず踏み倒した。80kmくらいのところだろうか、水を配っていたので思わず止まってボトルに入れた。
その後も快調に飛ばし、 ここは、往きは通過しても良いのだが、折角なのでコーラを飲んだ。フランスでは「コカ」と言うらしい、覚えておこうと思った。トイレに入ったら、山崎さんが居たのでびくっりして何時に出たのと聞くと15分も後だという。そして内海さんも一緒だとも、自分でも飛ばしてきたつもりが追いつかれたことで自信を失う。AV3kmも違うのに愕然とした。外に出て内海さんに「速すぎ」というと、調子がいいとの答え。そんな話をしていると、日本のブルベの主催者、石丸さんが来た。この人が居なかったら我々日本人は、フランスには来ることが出来なかった。とても熱く行動力のある石丸さんには、言葉では言い表せないほど感謝している。サイスポの松本さんは、シャッターを押しまくっていた。みんな興奮状態でこんな輝いている石丸さんを見るのは初めてである。 ここから3人で行くことにする。山崎さんははじめ切れかかったが、しばらくして追いついてきた。そして先頭に出たと思ったら、いきなりスピードアップ、それに反応して内海さんがつく。この二人、スタートからずっとこんなことをして来たらしい。二人とも足質が似ていて上りがめっぽう強い。山崎さんが発射台になり内海さんがそれ以上のスピードで引きまくる。外国人が何人かついていたが、この強烈な引きでチギレていった。何してんだと自問自答しながら、絶好調の内海さんの後ろを無言でついていった。 辺りが明るくなり、 初めてのコントロールである。6:51かなり速いペースである。 |
サプリを捨て ポタージュスープに浸したフランスパン |
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少し眠気も出てきたころ 遅れていた山崎さんも到着して3人で食事をする。「次の区間は距離が短いのでサクッと行きましょう!」といいスタートした。景色の良いところでオフィシャルの頼んだカメラマン達が二ヶ所で撮影している。後で売りつけるのである。記念に一枚だけ買ったが、キャビネサイズで1400円はちょっと高い気がする。かなりのんびりムードで進み、最後の10kmを速い集団が来たので便乗するが途中できれてしまった。かなり疲れが出てきたのだと思った。 最後で山崎さんが待っていてくれて程なく ここでも食事をする、日本から持ってきていた補給食は、VILLAINES-LA-JUHELですでに喉に通らず現地のポタージュスープにフランスパンを浸し塩をかけて食べていた。結局、この方法を最後まで続けた。補給食はバナナ、チーズ、りんごを主に買い、30分〜1時間間隔で走りながら食べるというものである。 |
サポート隊が見つからない ルーディアック452km |
TINTENIACでは、イスに座ったまま3人で約30分の居眠りをした。すっきりして外に出ると小倉さんがいた。ベンチで昼寝をして起きたところらしい。小倉さんはここまで日本から持参した補給食だけで来ていた。「次のコントロールまで一緒に行こう!」と言うとお先にどうぞと言われ、また3人で出発する。ちょうどいい集団があったので、それに乗る。するとすぐに大集団になった。小倉さんもその集団にいた。大集団の中で4人のジャポンジャージが並んで走るのを見てちょっと感動する。
この区間集団の中で過ごしたためか、あっという間に ここには、日本のサポートがいるが、探しても見つからない。スタート前に打ち合わせしていたことを思い出して掲示板へ、そしてサポート場所がわかり、そこで着替えと食事をする。事務局の加藤さんがいて、ここまでの話をざっとした。石丸さん同様に加藤さんもいなかったら、やはりフランスにはたどり着けなかった。この二人には頭が下がる。おにぎりを期待していたが、お釜がショートして壊れてだめになったと聞きがっかりする。ハム、チーズ、パン、水、かなり食べてしまった。コントロールを後にする際に小倉さんに聞くと、寝ていくというので、また3人で出発する。5〜6km行ったであろうか、胸焼けはするし、坂もきつくなってきたので、マイペースで行くと言い二人から遅れる。軽快に上る二人の後姿を見て、羨ましく思う。そして程なくシークレットポイントが現れた。スタンプを押してもらい外に出ると、内海さんが立っている『どうしたの?』と聞くとミスコースしていたらしい。同じく山崎さんもミスコースしていたみたいだが、彼の姿は見えなかった。そして、内海さんはまた淡々と坂を上っていった。 |
眠気との闘い 615km地点ブレストへ |
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ここからが、本当の眠気との闘いである。何度か止まって体操したり、目薬を点したりしたが、一向に眠気は治まらず苦労する。
よろめきながらも、520km、 やはり24時間を越えると限界である。後で考えればここでの仮眠が最適だったのかもしれない。食事をしようと中に入ると内海さんがいた。すでに食べ終わっていたが、待っていてくれたので一緒に出発する。2時間くらいは大丈夫だが、やっぱり眠気が襲ってきた。最後の山場を上っている途中で耐えられなくなり、内海さんに先に行ってもらう。道端の草の上で寝ていると参加者からなにやら声がかかった。道端で寝るのはまずいと思い、よろけながら出発する。丘の上の町でベンチを発見し、横になって眠りにつく。おそらく30分くらいだろう、寒くて目が醒めた。持っている全ての物を着て動きだした。すると少し眠気も治まったので、寒さをこらえながら、ブレストの町へと下りて行く。深夜で景色は望めないが、大きな橋がライトアップでオレンジ色に映しだされ、とても綺麗である。
ここには、石丸さんがサポートで居るのだが、コントロールでスタンプを押してもらうと、外に出て探す気にもならず、体育館で1時間半程、床に寝た。目が醒めて、サポートを探しに行く。すぐに見つかり食事、着替えをして、8:00ブレストの町を後にする。睡眠を取ったお陰で来る時にあんなにふらついたのがウソの様にすっきりして上ることが出来た。 景色の良い丘を上った。反対車線には、次々とブレストを目指す人々、その中に数人の日本人もいた。山崎さんとすれ違う、マシントラブルと言っていたが、PBPを満喫しているみたいだ。長い下りを終えてメーターを見ると、次のコントロールまでは距離にしていくらもないのに、昨晩、通過した感じではまだまだ先のはずと思っていたら、帰りのコースは一部別ルートで短くなっていた。 程なく町に入り いつものようにスタンプを押してもらって、まずは、トイレへ行くと、そこで、食事を終わって出る内海さんと遭遇、昨日はブレストで4時間寝ると言っていたが、結局寝なかったのだろう。尻痛を気にしていて、ブレストのサポートをパスして走りだしたみたいで、シャーミークリームを塗らなかったことを後悔していたから少し提供した。このクリームが優れもので、もし出会わなかったらと思うと今でもぞっとする。なにしろ使用していてもサドルの当たる部分にマメができて潰れ、また違うところが膨れるといった具合である。全く痛みを感じない人もいるので、羨ましい限りである。内海さんとはこの後会うことはなかった。途中で知らない間に前後入れ替わったりしたみたいだが、70時間ちょっとでゴールした強者である。彼の上りの速さには圧倒されるばかりだった。 PAGE TOP ↑ (1/2) NEXT → |