2回のタイムアウトでも諦めず完走 (池田年広 2006.8.12 記) コントロールで寝過ごした池田さんはその後2回クロージングタイムに遅れたが、ブルベカードにサインをもらい、無事に85時間03分で完走、認定された。PBP独自のルールが適用されたのかどうかはわからないが、睡眠たっぷりの池田さんは後半ペースをあげ、沿道の人々との触れ合いを楽しみながらPBP1200kmの旅を満喫した。 *レポートはPBPページ作成にあたり、クロージングタイム遅れ、沿道の応援などいくつかのテーマに絞って書いてもらったものです。全走行記を現在書かれているそうですので、完成したら掲載します。 |
ルデアックで寝過ごした でも、とりあえずは、行ってみないとわからない |
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1回目の失態は、第4PCのルデアックで寝過ごしたことです。8月19日の晩、ルデアックには、午後11時20分頃につき、20日の午前2時位に寝ついたと思います。その際、サポートカーの脇は冷たい風が吹き安眠できそうに無かったので、建物脇の風が防げそうな奥まった所でシュラフカバーに包まって寝ていました。その晩は、ぐっすり眠れたのですが、目がさめるとすでに朝の7時30分頃でメンバーは、私ともう、一人坂東さんが残っているのみでした。8時過ぎに最後の出発となり、少々不安を抱えながら第5PCカレ・プルーゲに向かいました。しかし、途中では、写真を撮ったりしながら結構ゆっくり走ってしまい、さらに上り坂が結構大変だったためPCチェックの最終時間である10時55分には、明らかに間に合わないことがわかりました。もし、カレ・プルーゲで走行中止を命じられても文句は言えないと思いつつ、そんなことになったら日本で応援してくれた人や仲間に会わす顔が無いなぁ。などと考えていました。でも、とりあえずは、行ってみないとわからないので、できるだけ先を急いで進みました。
第5PCカレ・プルーゲには結局、閉鎖時間を30分程過ぎた11時30分頃に着きました。受付に行くとまだPCは閉鎖されておらず何事も無かったかのようにスタッフの方がにこやかにスタンプを押し、カードを通してくれました。これでとても安心ました。スタッフにお礼を述べた後、外に出るとそこには、日本のメンバーである齋藤さんがおり、話をすると少し時間を過ぎて到着したが、受け付けてくれたとのことでした。食堂に行くと日本のメンバーの実力者内海さんが朝ごはんを食べている最中でした。すでにブレストを折り返しここまできているとのことで、その早さには、脱帽です。一緒に写真に入ってもらった後、内海さんと別れ、齋藤さんと一緒にブレストを目指すことにしました。 ブレストで何とか間に合った 途中、ガソリンスタンドで休んだりしながら先を進み、日本のメンバーである管さんとも会うことができました。その先で、齋藤さんとも別れブレストに向かいましたが、ペースはあまり上がらず、遅れ気味であることには変わりありませんでした。途中、PBPの最高地点の峠である景色の良いROK TEVEZELを越え坂を下っていると、日本メンバーの山崎さんがブレストから引き返してくるところでした。さすがです。この時、ブレストまでは約50kmの距離まで来ていました。やっとブレストに着いたのは、午後の4時40分頃で大西洋を見たときは、本当に感激しました。ここでは何とか午後5時30分のPC閉鎖時間には間に合いました。もうほとんどの人が出発していて、残っているのは先に到着していた片桐さんとサポート隊の石丸さんのみで、やがて齋藤さんも到着しそのメンバーがブレストにいるだけでした。 再びカレで40分遅れ 齋藤さん、片桐さんとブレストを出たのは、午後6時頃でした。途中、片桐さんとは別れ齋藤さんと第7PCカレ・プルーゲを目指しました。戻る途中、再度ROK TEVEZELを越えることになりますが、その手前で坂東さんとも再会しました。しばらく一緒に走りましたが、坂東さんは先行し、齋藤さんと自分はじっくりとROK TEVEZELの坂を登りました。頂上につく頃には、もう暗くなる頃で午後9時30分を過ぎていました。その後、カレ・プルーゲには閉鎖時間を40分経過した21日の0時40分に着きました。食堂で遅い夕食のチキンライスを食べ、今後に備えました。齋藤さんからは、食欲があっていいですねと言われ、少々複雑な気持ちでした。カレ・プルーゲは、1時30分頃に齋藤さんと別れ1人で出発しました。ここからは道が暗く複雑でスピードアップは望めません。着実に次のルデアックを目指しました。 ルディアックには何とか時間内到着、 途中、寒さにまいり、沿道でコーヒーサービスをしていた親子にお世話になったり、後ろから追いついてきたフランスのグループに引っ張ってもらいながらルデアックに向かいました。ルデアックには、午前5時37分頃に到着し何とか午前6時05分の閉鎖時間には間に合いました。しかし、ここで寝てしまうと次のタンティニアックの時間が厳しくなるのでここは我慢して、一緒に居た西垣さん、澤田さんと早々にスタートしました。その後は、順当にPCをクリアし21日午後7時頃にビレイン・ラ・ジェルに到着するまでは、寝ずに走りました。ここでは、先ず以前行ったパン屋さんまでパリブレストを買いに走りましたが、すでに売り切れ、仕方なく変わった形のシューケーキを買うに留めました。また、日本メンバーの小倉さんと再会を喜び合い、一緒に夕食を食べました。ところがこのときに旺盛な食欲に任せ大量に食べたパスタとライスそして変わった形のシューケーキが胃にもたれ、とても走れる状況ではありませんでした。幸い時間は、途中のがんばりでかなり挽回し、PC閉鎖まで余裕があったので思い切って仮眠所で毛布を借りて3時間程、寝ることし、ここで小倉さんとも別れました。更にありがたいことにこの仮眠所では、時間になると付き添いの子どもたちが起こしてくれるので寝過ごす心配もありませんでした。 その後は、体調ももとに戻り、順調にペースを保てたため他国のグループに混ぜてもらいながら、ゴールを目指すことができました。私が完走できたのは、フランスの水と食事が合っていたことが、理由の一つだと思います。 |
朝食は 「パリブレスト」 |
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走りながら、飴や日本から持参した菓子類を食べたり、パワーバーやジェル等も適宜補給していました。パン屋で買ったパリブレストを朝食として、食べたりもしました。途中、町のレストランでチキンライスを食べたこともあります。今回は、このチキンライスには多くの場面でお世話になりました。その他、コントロールポイントの食堂やサポート隊の補給、沿道の差し入れ水やドリンクもいただきました。PC以外で他者からの補給は、本当は規定違反なのでしょうけどみんな公然とやっているように見えました。
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沿道で応援してくれた 多くの人たちとの出会い |
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スタートの日、苦しかった時、沿道のパン屋さんが夜中にもかかわらず水を振舞ってくれていたので、水をいただいた上に甘えてトイレまで借りてしまいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。 第1PCのビレイン・ラ・ジェルでは、イギリスチームの関戸さんをサポートする河内さんとお会いしました。
第4PCのルデアックから第5PCカレ・プルーゲに向かう途中、CC.UZELの地元サイクリストのメンバーと一緒に走りました。写真を撮りながら走り、坂の上にあるUZELの町で休んでいると他の地元サイクリストからも声をかけられ、写真に一緒に入ってもらうことができました。UZELの町のすぐ先がはじめてのシークレットPCでした。ここでチェックを受け、休んでいるとかわいい女の子が遊んでいたので一緒に写真を撮ってもらいました、快く応じてくれたので女の子に飴をあげたところメルシーとお礼の言葉が返ってきました。こちらも嬉しい気持ちになりました。 ブレストから引き返し暗い道を第7PCのカレ・プルーゲから第8PCのルデアックへ戻る途中、午前2時頃の真夜中に明かりを灯し、親子でホットコーヒーを振舞ってくれている家がありました。凍えそうなくらい寒くモチベーションが下がっていた時なので、涙が出るくらい嬉しかったことを思い出します。いくばくかのチップを置いてゆこうとするといらないと断られたので、日本から持ってきた配布用のバンドエイドをいくつか渡すと喜んで受け取ってもらえました。やはり、PBPに参加する際は、簡単でよいから気の利いたお土産?が必要だと実感しました。 ☆言葉はあまり通じなくても現地の人は、あたたかく迎えてくれました。本当に感謝です。 |
印象に残ったことは数知れず 壮大なスケールと参加者たちの走り方 |
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スタートの後、暗い夜の中に赤いテールランプの隊列が、まるで河のように連なり、日本では見ることのできないスケールに圧倒されました。景色がきれいであったこと、特に草原や湖沼の朝もやが大変美しく、写真に残せなかったことが残念でした。 2003年のPBPは、走るうちに調子が良くなっていき最後のほうが特に気力、体力が充実していました。国内のブルベでもどちらかと言えば後半型の走りでした。あまり、調整をしたわけではなかったのですが上手く体調のピークがPBPに合ったように感じています。 さすが自転車大国だけあって、自転車が集団走行し道路をふさぐ走り方をしていても追い越しの自動車が後ろで待っていてくれます。フランスの集団の後ろで走った時、こまめにコミュニケーションをとりながらキャプテンが集団を引く姿もカッコよく印象的でした。 2003年のPBPでは、途中で寝過ごしたことが尾を引きあまり他のメンバーのことを気遣って走る余裕はありませんでした。メンバーの調子もそれぞれなので一律には行かないと思いますが、自分のスピードに合った集団を見つけその中で走ると、ペースがつかめるようになり、走りやすいように思います。理想は、日本人の集団を作り、オダックス方式で整然と走ると完走率がよりアップするようにも思いますが、人によってリズムが違うので、場面ごとに同じ国のメンバーにこだわらず、共に走る仲間を見つけると良いと思います。私の場合、抜いていく集団の後方について、走る方法でスピードアップを図っていました。一人では、どうしてもスピードは落ちてしまいます。レースに出たり、練習などで集団走行に慣れていると余裕が持てるように思いました。 |